January 12, 2012
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斎藤明美容疑者の出頭に付き添った滝本太郎弁護士は、斎藤容疑者から託されたという話を明らかにしました。そこには、平田容疑者とともに転々と生活の場を移していった状況が語られています。そして最後は、「私はずっとずっと偽名で生活し仕事をしてきました。そんな偽りの生活はもう終わりにします」ということばで締めくくられていました。

内容は、以下のとおりです。「本日、私、斎藤明美は、平田信に長い間隠れ場所を提供したことを告白して、自首しました。皆さんには、平田と私の出頭が遅くなったことについておわびいたします。平田と私の罪は、16年もとうに過ぎ、罪にならないと思っていました。それで私は弁護士に改めて相談することとし、12月31日、平田だけが出頭しました。その結果、かえって混乱し、警察の方を混乱させ、社会の方々にもご迷惑をおかけしました。誠に申し訳ありません。平田とは面識があって、当時、私は平田を尊敬していました。私は平田の事件と平田との関係も、当時は何も知りませんでした。平田の指名手配は2人で教団を出たあと、確か(平成7年)8月でした。福島、宮城、青森、仙台と逃げました。仙台では、料亭に住み込みで働きました。そのあと大阪へ行き3か所に滞在し、1年、7年、7年と住みました。私は仲居、喫茶店員、事務員などの仕事をしました。平田は私が知るかぎり、移動のとき以外は一切外に出ませんでした。警察や周囲の人に気づかれそうになると移動しました。私と平田は、報道でいろいろな事件を知り、特に坂本弁護士一家の事件が、オウム教団のしたことだったことに驚きました。教団では、教祖・麻原はすべてでした。人のりんね転生を握っていると信じきっていました。教団信者には現実感覚がなく、現世は幻だと感じていました。異常な世界でした。(私たち)2人は、麻原の法廷での態度にも幻滅していました。平田は(被害者の)假谷さんの奥さんのことばを聞いて出頭しようと悩んでいました。平田が長官銃撃の犯人と思われていることから、時効になるまでは出ないと2人で決めました。東日本大震災は2人にも衝撃でした。平田は、去年11月末に出頭すると言い出しました。12月31日夕方、私は、平田を見送りました。年末年始ですから、そんなにニュースにならないだろうと思っていました。そして平田は、私を守ろうという一心でした。特に大阪で私に関わった人におわび申し上げます。偽名で生活し、勤務し、長く皆様をだましてきました。そのうえで、迷惑をかけてしまいました。そして、親族友人の皆様にもご迷惑をおかけします。きょう、私は自首をしました。オウム被害者の方々には長く逃げていてすみませんでした。きょう、私は17年ぶりに本名を名乗りました。私は、ずっとずっと偽名で生活し仕事をしてきました。そんな偽りの生活はもう終わりにします」。

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斎藤容疑者 弁護士に託して NHKニュース